美しく軽率なジャニ活

美しく軽率なジャニオタの日常

沼の始まりが人生の光に変わるまで#2

さて、前回の続きを綴っていこうかな。

 

hasunoha11.hatenablog.com

 

衝撃的な初現場を体験してしまいジャニオタの沼に引き込まれたあの日。

それからはジャニーズをテレビや雑誌で追う日々。

会場で買ったポスターや団扇を部屋に飾り、雑誌を切り抜いて

壁に貼ったりと部屋をとにかくジャニーズ一色にしたいカオスな衝動。

 

今書いていて思い出したんだけど、壁一面を雑誌の切り抜きで一杯にしようと

本気で思っていたのを思い出した。

あーほんと今は形は違えど、衝動で行動するところは昔も今も変わってないなと

その現実に白目を剥いてる。

 

ってか、普通に考えて部屋の壁全てを埋めようとするってヤバイだろ。

・・・おい、お前マジか。

途中で止めてくれて有難う!!

それやってたらマジでやばかったぞ。

母親めっちゃ心配してただろうなw

心から有難う!あの時の私!!らぶ!!!!

 

そんな日々にある日の番組で一瞬にして心を奪われた人がいた。

たしかあれは少年倶楽部のジャニーズJr裁判のコーナー。

 

とにかく意味の分からないボケ。

真顔でずっとふざけている。

(え、何この人・・めっちゃ面白いんですけど。)

 

櫻井翔

 

2人目の担当との出会い。

出会いと言うには少し違うか。

存在はもちろん知っていたけど、少し年上だったから気にしてなかったって言葉が合ってるかな?

 

山Pから翔さんへ降りるタイミングは覚えていないけど、

それから割とすぐにデビューが決まって嵐を追う日々に変わっていった。

 

ファーストコンサートは行かなかったけど、セカンドコンサートからはイベントも含め全て行くジャニオタに成長。

当時の嵐は応募すれば行けていたし、高校生になるとバイト代は全て嵐に使い何公演も行ったりとジャニオタを謳歌してたな。

 

高校2年生になり運命の人との出会いが待っていようとは・・・。

学年が変わりクラス替え。

今と違って人見知りだった私に話しかけて来た子が後に相方になるAちゃん。

最初は私の携帯の着信がディズニーだった事。

 

『ディズニー好きなの?』

 

それが私とAちゃんの出会い。

その子との出会いがなかったらここまで濃いジャニオタ人生を送ることなんてなかった。

そして、今の未来が待っているなんて絶対になかった。

 

そこからお互いにジャニーズが好きだと分かり、人見知りな私が仲良くなるまでに時間はかからなかった。

Aちゃんは元々、【堂本剛】【二宮和也】【渋谷すばる】が好きで一緒にKinKiや嵐のコンサートに行ったりと、いつのまにか相方になっていた。

 

ある日Aちゃんの家に遊びに行き、関西ローカルでやっている番組を手に入れたから一緒に観ようと。

当時は【渋谷すばる】【横山裕】【村上信五】はもちろん知っていたから

何の抵抗もなく普通に観ていた。

 

まだ関ジャニ∞になる前の彼ら。

気付くとある一人に目が行ってしまっていた。

 

安田章大

 

ジャニオタとゆう生き物は友達に布教されるとその中では誰がいいか

探したくなる生き物らしい。

 

歌うとカッコいいのに、いちいち可愛い。

感動したり感情が高ぶるとすぐ泣く。

 

『すばる君が苺とったぁぁぁぁぁーーーー(涙)』

あの可愛さの衝撃は忘れもしない。

 

何なんだこの人。

自分のジャニオタ人生で出会った事のないタイプなんですけど。

だって泣く理由が苺?!

は?

意味不明なのにかーーわーーーいーーーいーーーーーー!!!!

 

当時彼らの活動は基本的に関西だったから、その年の修学旅行で皆が寝静まった部屋でこっそり彼らが出ている番組を観た思い出も懐かしい。

 

しまいにはAちゃんからチケット代出すからコンサートに行こうと。

当時新幹線なんて乗れるほどの経済力のない高校生2人は深夜バスに乗って松竹座へ。

 

2階席だったけど彼らのパフォーマンスと笑いに絶対にまた行こうねと約束をしたものの、彼らの活動は関西。

なんと東京ではKAT-TTUNの人気にAちゃんと私はハマっていくのです。

 

ここで一旦整理しよ。←自分で訳わからなくなってるw

Aちゃんは絶対王者の【渋谷すばる】に加え【田中聖

私は安定の【櫻井翔】に加え【中丸雄一】

安田章大】に関しては関西の中だとぐらいの位置。

 

当時の記憶を遡ってみるとSHOCKの舞台にも出ていたKAT-TTUN。

高校生には高いチケットを買い劇場に通う日々。

学校をサボって出待ちをしたりと10代の勢いのままに行動してた。

 

そんな日々を送りながらも高3の冬には2年連続で松竹座へ。

出待ちのシステムは知っていたけど関西は分からない。

私は関西の出待ちは興味がなかったからAちゃんだけ行ってくればと提案したけど

さすがにアウェイすぎて断念。

 

でも松竹座は楽しくてまた行こうねと再び約束を交わし、Aちゃんから布教され続けている私は安田章大の沼へと沈んでいくのです。

今思うとあの冬で担当になっていたんだろう。

大阪から帰ってきて楽しかったねと思い出に浸る私たちの翌年にまさかの情報が。

 

【DREAM BOY】

 

タッキー主演でKAT-TTUNと関ジャニが出演すると。

東京の舞台で関ジャニが観られる。

そこからはもう安田章大に夢中になっていった。

舞台のリハから他の現場まで。

初めて言葉を交わした日の事は今も鮮明に覚えてる。

それからはとにかく彼らを追いかける事に夢中で、時間も惜しまず生活が彼ら中心になっていった。

あの日々はある意味カオスだったな。

 

 

関ジャニ8デビュー】

 

Mステでの【愛してる愛してない】で渋谷すばるに一目惚れしてから

ずっと追いかけて来たAちゃん。

一度関西に戻った渋谷すばるがデビュー出来るなんて思っていなかったと。

 

その後、メンバーが脱退するなど色々あった関ジャニ∞

8人が7人になり、7人が6人になり。

そして今、目の前には関ジャニ∞をやっていくと決めた5人がいる。

 

人生どうなるかなんて誰にも分らないけど、出逢ってきた担当たちのお陰で今があると言っても過言じゃないんだよね。

 

特に関ジャニ∞に関してはここで語らせてほしい。

少し長くなるのと重めの話も出てくるから、興味のない人はここまでで。

 

 

 

今の私を知っている人たちは私が暗かったなんて最初は誰も信じない。

知ってるのは家族とAちゃんぐらいかな。

最近はパワースポットと言われるようになって、それはさすがに笑う。

 

子供の頃の自分を表現すると【人見知り】【人嫌い】【自分嫌い】

コンプレックスが強くて中学生の頃なんて自分の顔がアップになっている写真を捨てた時もあった。

理由はシンプルに嫌いだから。

自分が嫌いな人間が人を好きになる訳がない。

今は自分が最高だと思うぐらいに変わったけど。

 

自分の顔が嫌いなのに近所の大人に会うと

『お父さんに似てるわね~』と必ず言われる。

父親は顔が広いこともあって、とにかくめっちゃ言われる。

 

思春期の女の子でただでさえ顔が嫌いなのに、父親に似てると言われる。

(はいはい、お前もかよ・・・あーうるさ。)

今思うと本当に暗かったなw

 

そして私の暗黒時代。

父親が母親に手を挙げるように。

きっかけは分からないし、直接手を挙げてる瞬間を見たわけでもない。

少し音が落ち着いた頃に父親を止めに行く。

救いだったのは子供には手を挙げなかった。

だから夫としては最低だったけど父親としては最高だと今も思ってる。

 

子供の頃、毎年夏はキャンプで冬はスキーに連れて行ってくれたり、面白いことを言ったりと明るい父親だった。

そしてパパっ子だった私は嫌いにはなれなかった。

 

今だから思える事だけど、弱かった。

母親も逃げる勇気がなかったし、父親も向き合う勇気がなかった。

大人になって今の私だからそう思う。

子供は親は親であって欲しいと勝手に思う。

親もただの人間で強くないし完璧じゃないのに。

 

だから辛い時は逃げてもいい。

 

このブログは自分のために書いてるだけだけど、もしたまたま読んでくれている人の中に辛くて自分を嫌いになりそうな環境にいるのなら逃げてもいい。

逃げたって死ぬわけでもないし誰も責めはしない。

 

死んだら終わり。

 

これから担当が観せてくれる景色や連れて行ってくれる世界が観れないなんて悔しすぎる。

だって私、ジャニオタだしw

いつだって自分を責めたり嫌いになるのは自分だから。

他人に何を言われても最終的にそれを許可するのかは自分。

 

全て選んでるし、全て自分で選べる。

 

いつだって自分は最高だし、完璧じゃない事も含めて完璧なんだよね。

今はその辛かった過去でさえも感謝している。

どんな事もすべて今に繋がっている。

それは今が幸せだから。

今生きている、ただそれだけ。

 

そんな日々を過ごしている中にも常にジャニーズは側にあった。

その時の記憶はそこまで無いけど、気付かないうちにきっと助けられていたんだと思う。

だってコンサートには必ず行っていたから。

 

そして高3の秋に父親が亡くなった。

急に体調を崩して家で寝込んでいる時に私の目の前で亡くなっていた。

これは人生で今のところ一番衝撃的な出来事。

これに関してはかなり時間がかかったけど、この経験のお陰で今の自分があるわけだから経験して良かったし、なにより私が側にいて良かったと思ってる。

 

その年の冬に2度目の松竹座に行った。

もちろん悲しみの中にいたけど、とにかく行かない選択はなかった。

少しでも夢の中に逃げたかった。

 

そして翌年の【DREAM BOY】で初めて安田くんと話した冬。

交わした言葉はありきたりな言葉だったけど凄く嬉しかった。

その日から夢中で追いかけていた理由はやはり父親の辛さから離れられたのもあったと思う。

 

一度だけ父親の命日月に安田くんに渡す手紙にその事を書いた。

意外と手渡した手紙は読んでいる事を知っていたからどうしても伝えたかった。

安田章大の存在に救われたこと。

それを読んでくれたのかは分からないけど、とにかく感謝を伝えたかった。

 

結果ラストになった2005年の松竹座でのXmasコンサート。

自名義で最前ど真ん中を引き当てた。

一緒に入るのは相方のAちゃん。

あまりの近さに緊張してしまい、開演ギリギリまでロビーで待機。

いざ幕が上がると楽しいのと近すぎて恥ずかしいので何が何だか分からなかった。

 

そこで渋谷すばるのファンファーストを見せつけられた。

Aちゃんがいる事を知っているのに無視をし続ける。

なのに奥の方の立ち位置に行くと笑いもせずただAちゃんを見つめる奇行。

一度目の幕が下りるまで一切ファンサをしなかった。

さすがにイジリすぎだろと呆れるAちゃん。

『まぁ、でもこれがすばるくんだから。』

彼女はそう言い笑っていた。

 

そしてアンコールの幕が開いた。

それまで誰とも握手をしなかったすばるが真っ先にAちゃんに握手をしに来た。

あまりの衝撃に固まってしまった。

ぎゃーーーーーーー何そのツンデレ!!!!

渋谷すばる凄くない?!何そのファンサ!!!!

 

私はとゆうと近すぎて恥ずかしくて前半はまともに観れないw

安田くんは安定にまんべんなく天使のファンサ。

握手も前列の皆としてくれる。

公演中ちらちらと目は合うものの照れる私。

(今なら恥ずかしさなんて、躊躇なく思いっきり手振るわ!!)

アンコールも終わり幕が閉まる瞬間とんでもない事が起きた。

 

少し斜めの方を向いて手を振っていた安田くん。

(あー幕が閉まっちゃうなー)

ただ安田くんを見つめる私。

 

すると幕が閉まる直前に急にこっちを向いて笑顔で手を振ってきた。

(えっ!!)

ビックリしすぎて思わず反射的に手を振った。

そのまま幕が閉まりあまりの出来事に固まった。

隣を見るとなんとAちゃんも閉まる瞬間にすばるがわざと真顔で見つめてきたとw

 

松竹座は本当に彼らの始まりの場所でもあるし、私とAちゃんの宝箱のような

大切な場所になった。

今も松竹座の思い出は鮮明に残っている。

残っているとゆうより、色褪せない様に何度も塗り直しているってのが正しいかな。

 

自分的に今思い出しても頭おかしいし、安田くんも本当に優しい人だなってエピソードがある。

当時私は彼に面白いと思って欲しかった。(頭いかれてるw)

ドナルドのモノマネが出来る彼にそれを要求した。(いい加減にしろ)

 

『ドナルドのマネやってー。』(今考えるとよく言ったな)

 

『(何の躊躇もなくやってくれる安田君)』(天使かよ)(ほんとあの時すみません)

 

『すごーい!私もモノマネ出来るの♪(※田中眞紀子です!!)』(マジで頭いかれてる)

※昔いた政治家

 

『名前言うてるだけやん!!』(ちゃんとツッコんでくれる)

 

それをたまたま隣にいて聞いてたAちゃん。

『ねぇ、2人で何やってるの?』と笑われたけど、今私もそう思うよ。

ほんと、有難うございましたぁぁぁぁーーーーー!!!!

 

よく過去の栄光に浸ってと言うけれど、私にとってあの追いかけていた日々は栄光だとか執着だと何と言われても残しておきたい、色褪せさせたくない大切な宝物。

別によくない?

自分の人生、好きにやろうよ。

それは誰にだって1つはあるはず。

 

その宝物は大切に宝箱に閉まって、また何か過去を振り返りたくなった時にはこうやって宝箱の鍵を開けに来ようと思う。

無力だった10代は悲しくて苦しくて逃げ出したくても逃げ出せなかったけど、ジャニーズは生きる理由の一つだったから。

 

間違いなく安田章大は私の人生の光となってくれている。

 

私にとってジャニーズって何だろう?

そう自分に問いかけた時にこの言葉がピッタリ当てはまる。

 

【青春のすべて

 

それは今もなお続いている。